こんにちは。
「暮らしの処方箋」管理人です。
ライフケア・ストラテジストとして、話題のコンテンツが私たちの心にどう影響するかを分析しています。
さて、あなたはスタジオジブリの最新作、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を観て、言葉にしがたい「気持ち悪い」や「違和感」を感じませんでしたか?
もしそうなら、安心してください。
その感情は、あなただけが感じているものではありません。
多くの人が、鑑賞後に同じようなモヤモヤを抱えています。
結論:映画『君たちはどう生きるか』に「気持ち悪い」と感じるのは、不気味な視覚表現・難解な物語・倫理的な違和感が原因です。
その不快感は多くの人が抱く自然な感情であり、理由を知ることで作品の評価が腑に落ちます。
- 多くの人が挙げる「気持ち悪い」と言われる7大シーンの具体的な解説
- ネット(なんJなど)で共感されているリアルな感想と評価
- 不快感の正体と、モヤモヤを解消して作品を深く味わうための視点
この記事が、あなたの心のモヤモヤに対する「処方箋」となれば幸いです。
結論:『君たちはどう生きるか』が「気持ち悪い」と言われる三大理由
このセクションでは、まず本題の結論からお伝えします。
多くの人がこの映画に抱く「気持ち悪さ」の正体は、大きく分けて3つの要素に集約されます。
それぞれの詳細は後のセクションでじっくり解説しますが、まずは全体像を掴んでみてください。
【理由① 視覚】アオサギやインコなど、生理的嫌悪感を誘うグロテスクな描写
まず最も直接的な理由が、視覚的な不快感です。
特に、人間のような歯を持つアオサギの不気味な表情、可愛らしい見た目に反して人間を襲う人喰いインコの大群、そして内臓や血が生々しく描かれる魚の解体シーンなど、従来のジブリ作品では見られなかったようなグロテスクな描写が随所に登場します。
これらのシーンは、私たちの本能的な恐怖や嫌悪感を刺激します。
ただ怖いだけでなく、どこか粘着質で、夢に出てきそうな気味の悪さ。
この生理的なレベルでの不快感が、「気持ち悪い」という感想の最も大きな土台となっているのです。
【理由② 物語】説明不足で難解なストーリー展開への戸惑い
次に挙げられるのが、物語そのものの難解さです。
この映画は、観客への親切な説明がほとんどありません。
次々と不思議な出来事が起こり、多くのメタファー(比喩)が散りばめられていますが、その意味するところは明確には語られません。
なぜ主人公の眞人(まひと)は異世界へ行くのか、大叔父様の言う「積み木」とは何なのか、そして彼は何を得て現実世界へ戻ってきたのか。
明確な答えが提示されないまま物語は静かに幕を閉じます。
この「置いてけぼり感」が、消化不良のモヤモヤとなり、「なんだか気持ち悪い」という感想に繋がってしまうのです。
【理由③ 倫理観】父親と夏子の関係など、現代の価値観とのズレ
最後に、登場人物たちの関係性に起因する倫理的な違和感です。
特に多くの観客が指摘するのが、主人公・眞人の父親が、妻(眞人の母)の死後すぐに、その実の妹である夏子と再婚し、すでに夏子のお腹には新しい命が宿っているという設定です。
現代の私たちの価値観からすると、この展開はあまりにも急で、どこか生々しく、受け入れがたいと感じる人も少なくありません。
戦闘機工場で裕福な暮らしをしていることなども含め、物語の根底にある家族観や死生観が、私たちの倫理観を揺さぶり、それが一種の「気持ち悪さ」として感じられるのです。

私も初めてこの映画を観た後、1週間くらいアオサギの顔が頭から離れませんでした。
あのザワザワした感情の正体は何か?それを知りたい一心で、ネットの感想を読み漁り、自分なりに分析を重ねました。
この処方箋は、そんな私の探求の記録でもあります。
ぜひ、一緒にその正体を紐解いていきましょう。
【最恐】視覚的に気持ち悪い・グロいシーン7選を徹底考察
このセクションでは、多くの人が「気持ち悪い」「トラウマになる」と語る、具体的な7つのシーンを深掘りしていきます。
あなたが感じた不快感の源泉が、きっとこの中に見つかるはずです。
アオサギの不気味さ:人間のような歯と目、執拗なストーキング
この映画の「気持ち悪さ」を象徴する存在といえば、間違いなくアオサギでしょう。
ただの鳥ではありません。
彼のくちばしの中から現れる、人間によく似た生々しい歯と、獲物を見定めるような狡猾な目つき。
この「ありえない組み合わせ」が、私たちの脳を混乱させ、強烈な嫌悪感を引き起こします。
さらに、彼は眞人を執拗にストーキングします。
屋根の上からじっと見つめ、「オレヲサガシテイルナ」と不気味な声で語りかけてくる。
その行動は、安心できるはずの自宅が、常に脅威に晒されているという不安感を煽ります。
美しさや神秘性とはかけ離れた、湿っぽく、悪意に満ちた存在。
このアオサギの描写は、物語全体の不穏な空気を決定づけていると言えるでしょう。
人喰いインコの大群:可愛い見た目と狂気的な行動のギャップ
物語の後半で登場する色鮮やかなインコたち。
一見すると可愛らしいキャラクターに見えますが、彼らの本性は非常に凶暴です。
巨大な包丁を持ち、眞人やキリコを捕らえて「喰わせろ!」と叫びながら追いかけてくるシーンは、まさに悪夢そのもの。
この「気持ち悪さ」の根源は、見た目と行動の強烈なギャップにあります。
私たちはインコに対して「賢い」「可愛い」といったポジティブなイメージを抱きがちです。
しかし、そのイメージが裏切られ、彼らがナイフを振り回す狂気に満ちた存在として描かれることで、私たちの予測は覆され、強い不快感と恐怖を覚えるのです。
特にインコ大王の狂気じみた演説は、滑稽でありながら底知れぬ恐ろしさを感じさせます。
ワラワラを捕食するペリカン:無力なものが一方的に食われる理不尽さ
夜の海で、これから生まれるために空へ昇っていく白く可愛らしい存在「ワラワラ」。
その光景は幻想的で、一瞬心が安らぎます。
しかし、その平和は突如として破られます。
どこからともなく現れたペリカンの大群が、無抵抗なワラワラを次々と捕食していくのです。
このシーンが観客に与えるのは、「理不尽さ」と「無力感」です。
ワラワラはただ生まれてきたいだけなのに、一方的な暴力によってその命を奪われる。
助けようとしたヒミの炎によって、多くのペリカンも傷つき死んでいく。
ここでは明確な善悪が存在せず、ただ「生きるための摂理」という残酷な現実が突きつけられます。
この救いのない展開が、後味の悪い「気持ち悪さ」として心に残ります。
大量のカエルと巨大な魚の解体:内臓や血の生々しい描写
屋敷の周りを埋め尽くす大量のカエル。
雨上がりの庭にうごめくその光景は、生理的な嫌悪感を抱いた人も多いでしょう。
集合体恐怖症(トライポフォビア)気味の人にとっては、直視するのも辛いシーンかもしれません。
そして、その感覚をさらに増幅させるのが、キリコが巨大な魚を解体するシーンです。
ここでは、包丁で魚の腹を裂き、ドロリとした内臓を取り出し、それをワラワラたちの餌にするまでの一部始終が、非常に生々しく描かれます。
命をいただくという行為の、綺麗事ではない側面を容赦なく見せつけられる。
このリアルなグロテスクさが、多くの観客に強烈な印象と「気持ち悪さ」を与えました。
夏子の産屋の表現:紙がまとわりつく異様な描写
眞人が夏子を追いかけて入っていく産屋(うぶや)。
石でできたその内部は、まるで生き物の体内のように脈打っており、壁からは無数の白い紙が蛇のように伸びてきて、眞人や夏子にまとわりつきます。
このシーンの「気持ち悪さ」は、生命の根源に対する畏怖と不気味さから来ています。
出産という神聖な行為が行われる場所が、安全な空間ではなく、意思を持った不穏なものとして描かれている。
まとわりつく紙は、へその緒のようでもあり、同時に人を捕らえて離さない呪縛のようにも見えます。
この、聖と俗、生と死が混じり合ったような異様な空間表現が、観る者に説明のつかない不安感を与えるのです。
老婆たちの異様な動き:数の暴力と不気味な質感
眞人が暮らす屋敷に仕える老婆たち。
彼女たちは一人ひとりでも十分個性的ですが、集団となって眞人を取り囲むシーンには異様な迫力があります。
特に、眞人が開けようとする塔の門に群がり、「開けてはならぬ」と低い声で迫る場面はホラー映画のようです。
彼女たちのシワの多い顔、猫背の姿勢、そしてぬるりとした動きが、集団になることで「数の暴力」としての圧力を生み出します。
個々の人格というよりも、屋敷にまとわりつく怨念や因習の化身のようにも見える。
この人間離れした不気味な集団の描写が、物語にダークな彩りを加えています。
眞人が自傷するシーン:理解しがたい衝動的な暴力性
転校先で喧嘩をし、帰り道に眞人がとる行動は、多くの観客に衝撃を与えました。
彼は道端に落ちていた石を拾い、自らの頭に何度も打ち付け、血を流すのです。
このシーンの「気持ち悪さ」は、主人公への共感の断絶から生まれます。
私たちは物語の主人公に感情移入しながら鑑賞しますが、この突発的で常軌を逸した自傷行為は、到底理解できるものではありません。
彼が抱える心の闇や衝動性が、予測不可能な形で表出する。
この瞬間に、私たちは眞人という少年が、単純なヒーローではない、複雑で危うい内面を持った存在であることを突きつけられ、一種の恐怖と戸惑いを覚えるのです。
ストーリーが難解で気持ち悪い…置いてけぼり感の正体
視覚的な不快感と並んで、「気持ち悪い」という感想の大きな要因となっているのが、物語の難解さです。
このセクションでは、なぜこの映画のストーリーが分かりにくいのか、その構造を紐解き、多くの人が感じる「置いてけぼり感」の正体を探ります。
説明が少ないまま進む「メタファー(比喩)」だらけの世界観
本作の最大の特徴は、観客への丁寧な説明が極端に少ないことです。
登場人物の心情も、世界のルールも、明確な言葉ではほとんど語られません。
その代わりに、物語は多くのメタファー(比喩)によって構成されています。
例えば、眞人が迷い込む「下の世界」は、宮崎監督自身の心象風景や、過去のジブリ作品の世界が混ざり合ったものと解釈できます。
大叔父様がバランスを保とうとする「積み木」は、世界の秩序や創造性の象徴かもしれません。
ペリカンやインコといった存在も、単なるキャラクターではなく、戦争や人間の業といった、より大きな概念を象徴している可能性があります。
しかし、これらは全て観客の解釈に委ねられており、唯一の正解は示されません。
この答えのない謎解きを強いられる感覚が、観る人によってはフラストレーションとなり、「分からない、だから気持ち悪い」という感想に繋がるのです。
従来のジブリ作品にあった「カタルシス(爽快感)」の欠如
これまでの多くのジブリ作品には、クライマックスで問題が解決し、観客がスッキリとした気持ちになれる「カタルシス(爽快感)」がありました。
『天空の城ラピュタ』の「バルス」や、『もののけ姫』でアシタカが呪いから解放されるシーンなどがその代表例です。
しかし、『君たちはどう生きるか』には、そうした分かりやすいカタルシスがありません。
眞人は下の世界で大きな冒険をしますが、現実世界に戻っても状況が劇的に好転するわけではありません。
悪意に満ちていたアオサギも、最終的にはただの鳥に戻るわけではなく、友人とも呼べる不思議な関係のまま別れます。
この静かで、どこかビターな結末は、明確な終わりを期待していた観客にとっては肩透かしのように感じられ、消化不良のモヤモヤとした「気持ち悪さ」を残す一因となっています。
主人公・眞人の行動原理が分かりにくい
主人公である眞人のキャラクターも、物語を難解にしている一因です。
彼は亡き母を想う繊細な少年である一方で、嘘をついたり、衝動的に自らを傷つけたりと、非常にクールで多面的な性格をしています。
彼がなぜあれほど夏子に対して冷たい態度をとるのか、なぜ危険を冒してまで下の世界へ行こうと決意したのか。
その動機は、子供らしい純粋なものだけでは説明がつきません。
思春期特有の複雑な感情や、戦争という極限状況が彼に与えた影響などが絡み合っていると考えられますが、その内面は多くを語られないため、観客は彼の行動原理を掴みきれないままストーリーを追うことになります。
主人公に感情移入しきれないもどかしさが、物語への没入を妨げ、「気持ち悪い」という感覚に繋がるのです。
結局、大叔父様と積み木は何だったのか?
物語の核心にいるように見える大叔父様と、彼が守ってきた積み木。
この存在は、本作における最大の謎の一つです。
大叔父様は眞人に「この世界を引き継いでほしい」と頼みますが、眞人はそれを拒否し、現実世界へ戻ることを選びます。
この一連のやり取りは、宮崎監督が後継者問題や、自らが作り上げてきた「ジブリという世界」に対して抱く葛藤のメタファーではないか、といった考察が数多くなされています。
しかし、これもまた映画の中ではっきりと語られることはありません。
観客は、物語の根幹に関わる重要な要素の意味を解釈できないまま、エンディングを迎えることになります。
この核心部分の謎が残ることが、鑑賞後の「なんだったんだ、この映画は…」という、一種の「気持ち悪さ」を生み出していると言えるでしょう。
人間関係の違和感…登場人物の行動が気持ち悪い?
グロテスクな描写や難解な物語に加え、登場人物たちの関係性に言い知れぬ「気持ち悪さ」を感じた人も少なくないでしょう。
特に、物語の前提となる家族の形は、現代の私たちの倫理観や常識を揺さぶります。
このセクションでは、そうした人間関係から生じる違和感について掘り下げていきます。
母の死後すぐ、その妹と再婚する父親への嫌悪感
物語の冒頭、眞人は火事で亡くなった母への悲しみを抱えています。
そんな中、疎開先で彼を待っていたのは、亡き母によく似た叔母の夏子と、彼女とすでに再婚している父親の姿でした。
しかも、夏子のお腹は大きく、新しい命を身ごもっています。
この設定に、強烈な嫌悪感を抱いた観客は非常に多いです。
妻が亡くなってからわずか1年ほどで、その実の妹と再婚し、子供まで作っている父親の行動は、現代の価値観では「節操がない」「不謹慎だ」と受け取られかねません。
眞人の気持ちを無視しているようにも見え、この父親に感情移入することは極めて困難です。
この家族関係の生々しさと倫理的な違違感が、物語全体に暗い影を落とし、観る者にドロリとした「気持ち悪さ」を感じさせるのです。
主人公への夏子の複雑な態度(母性と嫉妬)
夏子もまた、非常に複雑なキャラクターです。
彼女は眞人の新しい母親になろうと優しく接する一方で、時折、彼を突き放すような冷たい態度を見せます。
特に、産屋で眞人に対して「あなたなんか大嫌い」と言い放つシーンは、彼女の内面の葛藤を象徴しています。
夏子は、亡き姉の息子である眞人に対して、母性や愛情を感じています。
しかし同時に、姉の面影を強く持つ眞人の存在は、彼女に嫉妬や劣等感を抱かせるものでもあったでしょう。
新しい母親として受け入れてもらえない焦りや、お腹の子を宿す母親としての不安。
そうした様々な感情が入り混じった彼女の態度は、眞人だけでなく観客をも混乱させます。
この一筋縄ではいかないウェットな人間関係が、一種の「気持ち悪さ」に繋がっていると考えられます。
戦時下における裕福な暮らしへの違和感
物語の時代設定は第二次世界大戦中です。
多くの人々が貧困や空襲の恐怖に喘いでいた時代に、眞人の一家は父親が軍需工場を経営しているため、非常に裕福な暮らしをしています。
タバコや配給品も自由に手に入り、お手伝いさんも大勢いる。
この設定に対して、「恵まれすぎている」「戦争の悲惨さが感じられない」といった違和感を覚える声もあります。
もちろん、当時はこのような暮らしをしていた人々も実在したでしょう。
しかし、宮崎監督がこれまで描いてきた反戦的なメッセージを期待していた観客にとっては、この主人公の立ち位置が、どこか居心地の悪いものに感じられるのです。
物語のテーマとは直接関係ないかもしれませんが、この背景設定が、ノイズとして「気持ち悪い」という感覚の一端を担っている可能性は否定できません。
「わかる」「これこれ」なんJ・5ch的「気持ち悪い」感想まとめ
ここまでは少し真面目な考察をしてきましたが、この映画の「気持ち悪さ」を語る上で、ネット上のリアルな声、特に「なんJ」や「5ch」といった匿名掲板のフランクな感想は欠かせません。
このセクションでは、多くの人が共感したであろう、少しくだけた視点からの「気持ち悪い」を集めてみました。
「アオサギの声、トラウマになるわ」声優の演技がヤバすぎ問題
ネット上で特に話題になったのが、アオサギの声です。
映画を観た人なら誰もが「あの声は誰が…?」と思ったはず。
エンドロールで声の主が菅田将暉さんだと知って、二度驚いた人も多いでしょう。
なんJなどでは、「あのドスの効いた声、夢に出る」「もはや人間の声じゃない」といった感想が溢れました。
特に、眞人を挑発する時のねっとりとした言い回しや、苦しむ時のうめき声は、キャラクターの不気味さを何倍にも増幅させています。
この声優の怪演が、アオサギを日本映画史に残る「気持ち悪いキャラクター」へと昇華させたことは間違いありません。
「インコ大王、ただの狂ったオッサンで草」シュールさへのツッコミ
凶暴な人喰いインコたちを率いるインコ大王。
彼は下の世界の秩序を保とうとする大叔父様と対立する、いわば悪役です。
しかし、その言動はどこか間が抜けており、ネット上では「ただのヒステリックなオッサン」「威厳がなさすぎる」といったツッコミが相次ぎました。
眞人が作った粗末な墓を見て激昂したり、部下たちに威張り散らしたりする姿は、恐怖よりもシュールな笑いを誘います。
このシリアスな展開の中での唐突なギャグっぽさが、観る人によっては「意味が分からなくて気持ち悪い」「話の腰を折られている感じがする」といった違和感に繋がったようです。
「親父の行動が一番のホラー」家族関係への辛辣な意見
視覚的なグロテスクさよりも、眞人の父親の行動こそが「一番気持ち悪い」という意見も、ネットでは非常に多く見られました。
先ほども触れましたが、妻の死後すぐにその妹と…という展開は、やはり多くの人にとって受け入れがたいものだったようです。
「眞人のメンタルケアより自分の欲が優先か」「この親父が全ての元凶」など、かなり辛辣なコメントが並びました。
ファンタジーの世界で起こる不思議な出来事よりも、現実世界で展開されるこの生々しい人間関係の方が、よっぽどホラーであり、後味の悪い「気持ち悪さ」を感じさせた、という声が多数派を占めていました。
「考察読んでも結局わからん」難解さへのギブアップ宣言
映画公開後、ネットには無数の考察記事や動画が溢れました。
しかし、それらを読んでも「結局、何が言いたかったのかサッパリ分からない」という感想もまた、多くの人の本音でしょう。
なんJのスレッドでは、「考察班に丸投げする映画」「宮崎駿のオナニーを見せられた気分」といった、ある種の諦めに似たコメントが共感を集めていました。
難解な映画を読み解く楽しみがある一方で、あまりにも観客に委ねすぎている本作のスタイルは、「不親切で気持ち悪い」という評価にも繋がっています。
この「分からなさ」を共有し、笑い飛ばすというのも、本作の一つの楽しみ方なのかもしれません。
【心の処方箋】その「気持ち悪さ」の正体は?あなたの感情を肯定する心理学的解説
ここまで、様々な角度から「気持ち悪い」の理由を探ってきました。
最後のセクションとして、なぜ私たちはこの映画にそのような感情を抱いてしまうのか、少し心理学的な視点から「心の処方箋」を提示したいと思います。
あなたが感じたその感情は、決してネガティブなだけのものではありません。
「不気味の谷」現象:人間に近い“何か”への本能的な恐怖
アオサギの描写に強烈な嫌悪感を抱いたのは、「不気味の谷」という心理現象で説明できます。
これは、ロボットなどが人間に似てくると親近感が増す一方、あるレベルを超えると「人間に近いのに、人間ではない」という点に強い嫌悪感を抱くというものです。
アオサギの人間のような歯や目、そして知性を持った言動は、まさにこの「不気味の谷」に当てはまります。
鳥でもなく、人間でもない、その中間にいる“何か”。
私たちの脳は、このカテゴリー分けできない存在を本能的に「脅威」とみなし、強い不快感を覚えるのです。
あなたがアオサギを「気持ち悪い」と感じたのは、ごく自然な心の反応だと言えます。
認知的不協和:期待していた「ジブリらしさ」とのギャップが生むストレス
多くの人は、「ジブリ作品」と聞くと、感動的なストーリー、魅力的なキャラクター、そして心が温かくなるような結末を期待します。
しかし、本作はその期待を様々な形で裏切ってきます。
これが「認知的不協和」と呼ばれる状態を引き起こします。
認知的不協和とは、自分の信念や期待と、現実の出来事が矛盾した時に生じる不快なストレス状態のことです。
「感動的なはずのジブリ映画が、グロテスクで難解だった」というギャップを、私たちの脳はうまく処理できません。
その結果、「なんだか気持ち悪い」「モヤモヤする」という感情として現れるのです。
これは、あなたがジブリ作品を愛しているからこそ起こる、誠実な反応なのです。
タブーへの接触:「死」や「性」の暗示が生む無意識のザワつき
この映画は、直接的な言葉を避けながらも、「死」や「性」といった、私たちが普段あまり直視しないタブーに触れています。
眞人の母親の焼死体、父親と夏子の関係、そして夏子の出産。
これらは全て、生命の根源に関わるテーマです。
私たちは普段、こうしたテーマを意識の奥に押し込めて生活しています。
しかし、この映画はそれらをメタファーや生々しい描写を通して、容赦なく私たちの目の前に突きつけてきます。
無意識の領域に触れられることで、私たちの心はザワつき、それが説明のつかない「気持ち悪さ」として感じられるのです。



この映画は、私たちが普段見ないようにしている心の奥底を覗かせる『鏡』のようなものかもしれません。
そこに映し出されたものを見て不快に感じるのは、それだけあなたの感性が豊かで、誠実に自分の心と向き合っている証拠でもあるのです。
その「気持ち悪さ」は、決して否定すべき感情ではありません。
FAQ:『君たちはどう生きるか』の細かい疑問
本文で触れきれなかった細かい疑問について、Q&A形式で簡潔にお答えします。
ワラワラって結局なんだったの?
ワラワラは、これから人間として生まれる前の「魂」のような存在だと考えられます。
下の世界で栄養を蓄え、準備ができたものから上の世界(現実世界)へ昇っていきます。
可愛らしい見た目とは裏腹に、その命は非常に儚く、ペリカンに捕食されてしまうという残酷な運命も描かれています。
タイトルと映画の内容は関係ある?
映画のタイトルは吉野源三郎の同名の小説から取られていますが、ストーリーに直接的な関係はありません。
宮崎監督自身が、この小説を読んで感銘を受け、主人公の眞人にこの本を母親からの贈り物として登場させています。
映画全体が、タイトルが示す「君たちはどう生きるか」という問いを、観客に投げかけていると解釈するのが良いでしょう。
結局、何が言いたかった映画なの?
これが最も難しい質問ですが、一つの明確な答えはありません。
宮崎監督が自身の人生や、これまでの作品制作を振り返り、その混沌とした心象風景を描き出した、非常にパーソナルな作品だと言われています。
あるいは、間違いや悪意に満ちたこの世界で、それでも友人を見つけ、現実に戻り、生きていくことの尊さを描いたのかもしれません。
答えは、観た人それぞれの中にあります。
まとめ:不快感の理由がわかれば、もう一度見たくなる
この記事では、映画『君たちはどう生きるか』を観て多くの人が感じる「気持ち悪さ」について、その理由を徹底的に解説してきました。
「気持ち悪さ」おさらいチェックリスト
| チェック項目 | あなたが感じたのはこれ? |
|---|---|
| 視覚的な不気味さ | アオサギ、インコ、ペリカン、魚など、生理的に受け付けないシーンがあった |
| 物語の難解さ | 説明不足で、メタファーが多く、結末がスッキリしなかった |
| 倫理的な違和感 | 父親と夏子の関係など、登場人物の行動に共感できなかった |
| 感情の正体 | 不気味の谷、認知的不協和など、心理的な要因が隠れていた |
「気持ち悪い」という感情は、決して作品の価値を否定するものではありません。
むしろ、それだけこの映画が、私たちの心の深い部分を揺さぶり、普段は考えないようなテーマを突きつけてきた証拠です。
あなたが感じた違和感や不快感の理由が少しでも言語化できたなら、ぜひもう一度、この不思議な世界に触れてみてください。
初回とは全く違った発見があり、以前は「気持ち悪い」としか思えなかったシーンに、隠された意味や美しさを見出せるかもしれません。
この記事が、あなたの映画体験をより豊かにするための「処方箋」となれば、これほど嬉しいことはありません。
参考リンク
- スタジオジブリ公式サイト – 作品の公式情報はこちらからご確認いただけます。
